1964年東京オリンピック当時の「民泊」とは? 新旧ホストの対談でホームステイ型民泊の魅力を聞いてきた《公式》

大塚和成です!!


 トラベルボイス

1964年東京オリンピック当時の「民泊」とは? 新旧ホストの対談でホームステイ型民泊の魅力を聞いてきた

1964年東京オリンピック当時の「民泊」とは?

2020年に向けて、利用拡大が予想されている民泊。住宅宿泊事業法(民泊新法)が今年6月から施行され、新たな時代を迎えている。新しい言葉とされがちな「民泊」という言葉、実は1964年の東京オリンピックのときにすでに使われ、東京都は外国人観光客を受け入れのために民泊ホストを広く募集していた。今回、その当時に民泊を行った1964年のホストと2020年を迎えるホストとの新旧対談が実現。時間を超えてお互いが共有した世界のゲストを迎え入れる民泊のおもしろさを語りあった。

【関連画像】1964年当時の新民泊の様子

1964年の東京オリンピック当時に横浜市で歯科医院をしていた林正三さん。御年88歳。「いろいろ大変でしたけど、今でもやってよかったと思っています」と語る。当時4歳だった長女の古藤真美さんは、受け入れたゲストのファミリーや友人と今でも続く関係を楽しそうに話した。

一方、2020年の東京オリンピック・パラリンピックを心待ちにしているのがAirbnb(エアービーアンドビー)のスーパーホスト高橋夫妻だ。南浦和の自宅の一室を民泊として開放して4年半になる。これまで110組以上を受け入れた。2020年には「ボランティアもやってみたい」と話す夫妻は、訪日外国人とのコミュニケーションを生活の一部として楽しんでいる。

たまたまエアビーのサイトを見つけたのがきっかけ

トラベルボイス:なぜ、高橋さんご夫妻はAirbnbのホストになったのですか?

高橋さん(妻):私が若いときにアメリカやイギリスでホームステイを経験したことがあったので「自分もしてみたい」という夢がありました。南浦和へ引っ越したときに部屋がひとつ余っていたので、やってみたいと思ったのがきっかけです。ホストファミリーというのは1日3食つくって、すべてをケアするのが主流。でも、私たちはお互いに仕事を持っているので、そこまでできない。調べていたらエアビーのサイトを見つけたんです。これならできそうだと。

高橋さん(夫):でも、私は英語が全くしゃべれないので、外国人とコミュニケーションが取れないと思い込んで、やることを躊躇してたんです。エアビーに登録はしたんですが、最初は夫婦の意見が合わなくて・・・。だから、二人で話し合って、一ヶ月に2組だけというルールを決めました。実際に受け入れを始めたのは、その半年後くらいですね。

高橋さん(妻):駅から結構離れているので、最初は来ないかなあと思ってたんですが、思ったよりも来ました。国籍はいろいろ。いつも受け入れていると、こちらも疲れるので、ビジネスというよりは、楽しみながらやってます。

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